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田んぼの周りに植わる、黒大豆の枝豆=「あぜ豆」
昔はこんな光景があちこちに。。今はほとんどなくなってしまいました
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私の記憶に残る農業・・・「丹波黒・本黒の枝豆」のこと
昭和30年代半ば生まれの私の中に残る、我が家の農業・黒大豆枝豆の思い出
小さい頃の遊び場は田んぼと畑と周りの溝と。ぬかるんだ土で作るおにぎりと、周りにはえている雑草のおかずでおままごと遊び
雨の日は、形が悪かったり、はじいて中が見えた小豆のはいった「お手玉」。 農作とともに育った子供時代・・・
そんな頃、稲が育つ水田の周りの畦に、一スジづつ並んで植えられていた豆。「あぜ豆」と呼ばれる 枝豆にするととても美味しい食べ物(黒大豆の枝豆のこと)
その頃の運動会の開催は今より約1ヶ月遅く10月に入ってから行われていました。
その運動会で食べる昼食の重箱の中に、柿やみかんと一緒に このあぜ豆が自分の所の重箱に入っているかどうかそれは結構重要な問題でした。
あぜ豆の収穫時期は年によりいろいろ(それだけ気候に左右されやすいのですね)。その上その時期はとても短く長くて2週間。。。運動会と収穫の時期が合わないととても残念だった記憶があります
私の記憶の中の最初の黒大豆の枝豆は 運動会で食べたい「あぜ豆」と呼ばれ、稲の影でひっそりと綺麗に一列に並ぶあぜ豆です
そんな風景が一新していくのは 昭和50年代、転作による農業の大幅な変化だと思います
これにより今まで稲作をしていた田に黒大豆が植わって作付けの拡大となりました。
他の地域の黒大豆が主に畑で作られているのに対して、篠山の黒大豆が主に田で作られているのは「あぜ豆」としての長い年月があり、ごく自然に田で植えるようになったと思われます
黒大豆は夏の水管理が難しい作物で、稲の水管理として利用してきた周りの水環境がうまく黒大豆の水管理に利用できたといえます
それまで枝豆としては地元で食する以外ほとんど篠山をでることのなかったものがこの転作により広く販売の方向に向かったと考えられます
そんな動きの中、大きな転機は、グルメ本「美味しんぼう」に黒大豆の枝豆が取り上げられたことでしょう。 黒大豆の枝豆が枝豆の逸品として掲載され一気にその美味しさが広まった感があります
それ以降、篠山は10月の週末にもなると、高速も国道も渋滞するほどの車となり、国道沿いには、夏のパラソル・テント等で作った露店がズラーっと並ぶようになりました。
小さな頃 父が、母が、祖母が 暗くなるまで農作業をし、私達子供はその側で、清らかな水の流れの中、しじみを捕ったり、どじょうやめだかを捕まえたり、土手の雑草で雑草相撲や首飾りを作っていた その傍らで稲の周りに綺麗に並んでいた 「あぜ豆」
運動会に食べられるか心配して学校帰りにのぞいた「あぜ豆」
そんな秋の楽しみであった豆を
今度は私が 誰かの楽しみのためにせっせと作っていきたいのであります。 |
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