時を重ねて

人は意識するしないに関わらず、日々選択をして生きている

あの日、あの電車をいとこは選択した
また、あの電車の運転手はあのカーブを異常な速度で走ることを
選択している
JRは、度々オーバーランをし
車掌業務をすれば居眠りをする人をこの日の運転手として選択している

後々の報道等でいろんな選択があったことを知る
事故後の宴会・ゴルフ・帝国時代のようなJRの日勤教育etc

そのことについていくら論議をしても
事実は何も変らない

107名の命が奪われ

その遺族となった家族
そして我が家のような親族
また、その人と関わりのあった多くの人達

事故により、一人の命が失われることにより
どれだけ沢山の人々が
精神的に痛手を受け、日々の生活が変ってしまうのか

私の拙い文章ではとうてい伝わりきれてはいないでしょう

しかし確実に我が家の均整は壊れ
ましてや遺族となった家族は
親族である私たちにも計り知れない思いが渦巻いていると感じています


いとこが亡くなって数日後
いとこの家に一本の電話が入りました

「あの日、お宅の奥さんを救出したものですが、、、
私が奥さんを見つけ電車から救出した時には、奥さんはすでに、
すでにお亡くなりになっていました。多分、即死に近く、あまり苦しまずに
お亡くなりになったのではないか、と思います」

「どうして家の家内だと分かったのですか?」

「奥様のお顔はよく記憶に残っており、TVの報道を見て
あぁ、この方だった、と思いました」と。

・・・・・あぁよかった、いとこは苦しまずに逝ったのだ。

この一本の電話がどれほど有難く人の温かみを感じたことだろう


今、息子は看護学校に通い
ゆくゆくは救急外来の看護師になることを
目指している

「おばちゃん(亡くなったいとこ)なぁ、俺が看護学校に決まったゆうたら
ほんならおばちゃん安心やなぁ
どんなにボケても・病気になっても百人力や、慧くん、頼むわなぁ、って言うだったねん」

息子の自慢をしているのでは決してありません
まだ資格をとるにも長い先があり途中で挫折ということも考えられます
が、息子は19年生きた少ない経験の中
そういう選択を選ぼうとしている

大人になればなるほど
いろんなしがらみがまとわりつき、組み込まれた車輪の部品のようにも
思われる慌しい日々を過す

しかし
ここ、という選択を迫られた時には
会社でもなく、世間体でもなく
「己」として血の通った人としての選択が出来る
1個人として生きていたいと思う


おかん、頼む俺を電車に乗せんとって

時々ふとしたことに蘇る
息子の悲痛なあの言葉


そんな言葉をもう誰の口からも聞きたくはないのです。
  


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