平成17年4月25日
(私の記憶)

午前10時すぎ
普段、会社員の私は会社の10時の休憩に開いた
インターネットのニュース速報で、福知山線の事故を知る

最初の情報は、電車が踏み切りで車にぶつかる
けが人がいる模様ということだった

そのニュースを見て、
我が家の関係者に被害を受ける者はいないだろうと思った

しかし、なぜか涙が出た

「福知山線」という身近に起こった事故による涙だと思った

息子の友達の多くがこの路線を利用し
大阪まで通学していたので
息子に事故の連絡と友達への安否確認するようメールをした

暫くして息子から「知り合いに被害にあった子はいない」
と連絡があり、ほっとする


正午
けが人がいる、という最初の情報は
死亡者あり→死亡数人→死亡数十人
と、刻々と状況が緊迫してきていた

「福知山線で死亡事故・・・」
ニュースから目が離せなくなっていた

その頃自宅ではじーとばーが気軽に確認のため
西宮に住むいとこの家に電話。そして思いがけず
いとこが電車で大阪に行き、
携帯を鳴らすも連絡が取れていないことを知る

しかし、この電車の一つ前の電車に乗れる時間に出たため
大阪の地下を歩いていて聞こえないのだろうと思う、が
一応現場に行って来るということを聞く


午後3時
いとこの家に電話するが出ない
自宅にいる両親は落ち着かない数時間を過していた


午後6時
私・・・夜の職場に移動
社内で事故の話が出るが
宝塚発の電車ということで
あまり大きな話題にはなっていなかった

自宅では何度かけても電話に出ないいとこの家
心配がピークに。

この頃娘が帰宅、あれやこれやと言い合うじーとばーの会話を
のんびりと聞いていた


午後8時
まだ帰らないいとこの家

父が意を決してJRに電話
「遺体安置所の電話を教えて下さい」

教えて貰って安置所に
「まさかとは思うのですが
こんな名前の遺体があったりはしませんか?」

JR職員
「・・・大変申し訳ないことをしてしまいました
そのお名前がございます、大変申し訳ございません・・・」

じー
「そうですか、名前がありますか・・・
そちらに探しに家族が行っていると思うのですが
そこにいるのならちょっと電話口まで
連れてきてもらえませんか」

JR職員
「遺体を確認され、先ほどお帰りになりました
ご遺体ももう少ししたらここを出て
ご自宅に向かわせていただきます


・・・この頃息子帰宅・・・

「どうしよう、かなんに、かなんことになったに、
なんじぇこんなことになるなんて」
と動揺するばー

その姿を見て泣き出す娘
事実を把握しようとする息子



午後9時
じーとばー、いとこの旦那さんと息子さんが帰ったことを確認し
いとこの家に向かう

この頃からTVにはいとこの旦那さんと息子さんが
いとこを探す映像が何度も流れはじめる


午後10時
私何も知らず帰宅・・・・・
居間でTVに向かっていた息子と娘が振り向くと
二人とも声が出ないほど泣いている

「なんや?JRの事故でか!?」

二人黙ってこくり、と頷く

「だれ?友達?先生か??」

二人声を絞りだして
「さ、散髪屋のおばちゃん」・・・・と。

意外な名前でしばし言葉が止まる
「なんで?〇〇ねーちゃんが電車に・・・怪我やろ?
亡くなったんちゃうやろ?」


「・・・亡くなったったん・・・」

その時またTVにいとこの家族がいとこを探す
YTRが流れ出した

映像によっていとこの家族がいとこを探す姿を
TVで見る
不思議な感覚を感じると共に
体が何か上からの重力で押さえつけれたように重くなり
気がついたら床に手をつきしゃがみこんでいた


午後11時30分
私・息子・娘と三人いとこの家に

遺体は、もう棺おけに入れられ
圧迫で傷んだ内蔵は見えないように
顔以外見られないように打ち付けられていた
頭も圧迫されて破裂していたのか
頭の形に縫い付けた後と
左ほほにも縫いつけた後があった

時々玄関のベルが鳴り、マスコミのインタビューを
いとこの旦那さんや息子さんが、淡々と答えている

お葬式の場所・段取りすべてJRでするとのこと。

棺おけに入ったいとこの変わり果てた姿をみて
ただただこの現実を受け止め
胸に湧き出す哀しみの収め方を
それぞれが模索する長い時間との闘いが始まった



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